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新城市はシティハントの旅を始めるまで名前も知らない市でした。でも調べると行き先は簡単に決まりました。新城市には設楽ヶ原古戦場があったのです。
設楽ヶ原古戦場は戦国時代に長篠の戦いで、最強と謳われていた武田騎馬軍団が織田徳川連合軍の鉄砲を用いた戦法に敗れ、歴史を転回させた場所です。最寄りの駅から1.4km、ちょっと遠いけど許容範囲です。復元された馬防柵もあるようですし、歴史好きとしては見逃せません。
三河東郷駅から緩い上り坂を歩くこと20分、設楽ヶ原の入り口に着きました。

左側の山に織田徳川連合軍が陣取り、右側から武田軍が攻めたそうです。
左側の山の麓まで行くと復元された馬防柵が見えてきました。

柵は場所によっては二重三重になっていたようです。

ほとんどの所は柵が建っているだけでしたが、一部に古文献と時代考証によって正確に構造を再現した部分がありました。

柵の前面には堀、柵の裏側には鉄砲隊が身を隠すための土塁があリます。柵はちょっとチャチな感じもしましたが、馬を立ち止まらせればよいのですからこれで良かったのでしょうね。
土塁の裏から武田軍が攻めてきた方向を見たのがこれです。

鉄砲隊の隊士の気分になって勇猛とどろく武田騎馬軍団が近づいて来る様を想像すると、鉄砲の威力をまだ信じきれなかったであろう隊士はやはり怖かったでしょうね。
織田徳川連合軍はここから攻めて来る武田騎馬軍団を狙い撃ったのでした。柵の前は惨憺たる状況だったでしょうね。
多くの武田武者が倒れた古戦場には真新しい地蔵が建っていました。
