日本全国まちめぐり

日本のすべての市に行くのが目標です

高知県室戸市:シティハント高知県の旅

(310/815)

室戸市での行き先は室戸岬の一択でした。室戸岬は地理好きの私の中では岬の中の岬なのです。太平洋に向かって三角形に大きく突き出していて、その先は1000km離れた小笠原まで島一つない雄大な太平洋が広がります。

地図のレベルではそんな雄大な岬なのですが、現地に立つとその雄大さはあまり感じられません。断崖絶壁が延々と続くわけでもなく、木々に覆われた山の麓に広い磯があってだんだんと海に消えている、ただそれだけなのです。

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灯台は海岸ではなく山の上にあります。見えますか?

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地図のような大きなスケールで見るのと小さな人間の視点で見るのとでは見えるものが違うのですね。

磯には変わった岩がありました。

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縦縞の岩が波に削られて怪獣のように見えます。あの縦縞はどうやって出来たのだろう。こんな時はAIの出番です。

タービダイトというらしく、深海底に堆積した土砂が固まり、持ち上げられて、数千万年の時を経てここにあるのだそうです。ほとんどの方は興味がないと思うので詳細は省略します。

帰りのバスが予定より一本早いのに乗れたので、室戸市でもう一箇所立ち寄ることにしました。吉良川集落です。全国に129ある重要伝統的建造物群保存地区の一つです。

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明治時代以降、近郊で産するウバメガシから良質の備長炭が生産されるようになり、その経済力を背景に町並みが形成されたようです。

強い風雨から家屋を守るために、漆喰の壁から水切り瓦と呼ばれる小さな庇が飛び出しているのが特徴的でした。

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高知県安芸市:シティハント高知県の旅

(309/815)

安芸市ではタイガースタウンに行くことにしました。プロ野球阪神タイガースが秋季キャンプをやっている安芸市営球場と周辺施設の別名です。

安芸市は地域活性化の手段としてプロ野球球団のキャンプ場誘致を考え、郊外の山の斜面を削って球場を造り、誘致活動を始めました。それに応じたのが阪神タイガースだったのです。

阪神タイガースは1965年から春季と秋季のキャンプ場として使い始めました。その後春季キャンプ場は沖縄に移りましたが、秋季キャンプは今でもここで行われています。

タイガースタウンの前には土佐くろしお鉄道の球場前駅があります。

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駅舎のない無人駅です。駅前には多目的体育館安芸ドームがあります。

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ドームの横の坂を上るとサブグラウンドがあり、少年たちが野球をやっていました。

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ここに至る坂道には阪神タイガースに関するパネルがいくつも並んでいました。1枚目は阪神タイガース安芸キャンプの始まりのボードです。

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サブグラウンドからさらに坂を上ると安芸市営球場です。

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高知県小学生野球安芸大会をやっていました。

球場の近くには展望台があって、安芸の市街地と太平洋が一望できます。

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タイガースタウンを下りて、次の目的地室戸岬行きのバス停に着いてもまだ時間があったので、近くの漁港に行ってみることにしました。そこであっと驚く発見。何とそこにあったのは日本一高い防波堤でした。海面からの高さが16mもあります。

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AIに「日本一高い防波堤は?」と聞くと確かに出てきます。でも旅に行くのにそんな質問なんかしませんよね。こんな思いがけない発見があるのもシティハントの旅の楽しみです。

高知県香南市:シティハント高知県の旅

(308/815)

香南市でどこに行こうかと探していて手結港可動橋という記述を見つけました。可動橋は河川交通が盛んだった頃全国に結構な数が造られましたが、現役で動いているのはごく少数のようです。

可動橋と言えば東京隅田川の勝鬨橋が有名ですが、今は動いていません。手結港可動橋は現役バリバリの可動橋で、昼間はほぼ1時間おきに開閉します。

バス停から5分ほど歩いて橋のたもとに着いた時は、橋は閉まって渡れる状態でした。

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道路の路面が黒くなっている部分が跳ね上がります。左側が手結港です。手結港側から見た橋がこれです。

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ごく普通の橋に見えますね。これが開き始めるとこうなります。

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港の奥には漁船が並んでいました。

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橋ができるまではこの漁港をひと回りする必要があったので便利になったようですが、小さな漁港ですから短縮された距離は400mくらいです。可動橋という投資に見合う経済効果があるのかな?

港を回って可動橋のたもとに戻って来ました。開いた橋はこうなっています。

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帰りは来る時バスを降りたバス停とは違う高台にあるバス停まで歩きました。そこから町を見渡すためです。

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町の中に斜めの塔が立っているような変わった風景です。その先には高知の青い海と海岸線が広がっていました。

 

高知県南国市:シティハント高知県旅

(307/815)

南国市では「やなせたかしロード」を歩くことにしました。そう、あのアンパンマンの原作者やなせたかしさんです。

行くまで知らなかったのですが、やなせたかしは高知では坂本龍馬に次ぐくらい?の有名人なのです。やなせたかしは東京生まれですが、5歳の時に父親が亡くなり、7歳の時に後免町(現南国市)で開業医をしていた叔父に引き取られ、旧制中学時代までをそこで過ごしました。

その柳瀬医院があった後免駅前から次の後免町駅の間にやなせたかしロードがあります。ここがやなせたかしロードの西の始まりです。

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ここから東に伸びる後免町商店街がやなせたかしロードと呼ばれています。少し進むと公園がありました。

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昔、柳瀬医院があった記念公園です。

やなせたかしロードには所々にアンパンマンのキャラクターが立っています。その一部を。

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ロードを抜けて少し行くと後免町駅に出ます。この駅は別名「ありがとう駅」

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ごめん駅があればありがとう駅もほしいというやなせたかしの命名です。

駅前には詩人でもあったやなせたかしの詩碑がありました。

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シティハントの旅を始めなければ、ここに来ることも「やなせたかし」についてこんなに知ることもなかったでしょうね。

 

高知県宿毛市:シティハント高知県旅

(306/815)

宿毛市には美しい海がありますが、これといった名所はありません。ネタ探しに悩んで行き着いたのが「宿毛」という地名の由来でした。

今の宿毛駅辺りの平地は昔は松田川河口に広がる湿原で、一面に葦が生い茂っていたようです。古代の人々は枯れた葦のことを「すくも」と呼んでいたらしく、これが地名の由来だと言われていることが分かりました。

この記事の中に、宿毛の町外れに国の史跡に指定されている「宿毛貝塚」があるという記述を見て、そこに行くことにしました。

土佐清水からのバスを宿毛駅の少し手前のバス停で降りて、川越しに宿毛の市街地を見たのがこれです。

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古代にはあの辺りが一面の葦原だったのですね。

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河口の橋を渡り反対側の山裾まで行くと宿毛貝塚がありました。

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説明板がなければ気付かない近隣公園みたいな広場でした。

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住居跡はまだ見つかっていないそうですが、低地から数m高くなっているこの辺りに住んで、河口の湿地に魚や貝を採りに行っていたのでしょうね。

貝塚から宿毛駅に向かう途中、駅の近くに津波避難タワーがありました。

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最上階は地上14.5mあります。ここでの浸水深さ7mの表示がありましたから、貝塚辺りは微妙な高さです。貝塚周辺に住んでいた縄文人は、数千年前にも起きたであろう巨大南海地震では津波に巻き込まれたことがあったかも知れませんね。

津波避難タワーからの展望です。

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見えている山裾に宿毛貝塚があります。その手前まで低湿地が広がっていたのでしょうね。

反対側(海側)です。

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宿毛駅は元々の宿毛中心部と港がある片貝地区の中間に作られました。まだ発展半ばで周囲には広々とした田んぼも残っています。

列車まで時間があったので、避難タワーの日陰のベンチで心地よい風に当たりながら時間を過ごしました。

 

高知県土佐清水市:シティハント高知県旅

(305/815)

土佐清水市は所要時間という意味では東京から最も遠い市の一つだそうです。距離的に最も遠いのは沖縄県石垣市ですが、朝7:00東京駅発で検索すると12:30には石垣市役所に着けます。それが土佐清水市役所では14:39でした。最寄りの高知空港から遠いというのが効いています。

その土佐清水市でどこに行くか?最初の候補は足摺岬でしたが、土佐清水市の観光名所を調べていて引っ掛かったのは「ジョン万次郎資料館」でした。

これが資料館です。

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万次郎は江戸時代末期の漁師で、14歳のとき足摺岬沖で漁の最中に強風のため遭難し、伊豆諸島の無人島鳥島に漂着して5人で143日間生き抜き、アメリカの捕鯨船に救助されました。資料館に展示されているその時の捕鯨船ジョン・ハウランド号の断面模型がこれです。

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万次郎は捕鯨船の船長ウィリアム・ホイットフィールドに気に入られ、ハワイに残った仲間と分かれてホイットフィールドの故郷に行き、そこできちんとした教育を受けました。優秀な成績で首席になったこともあったようです。

卒業後は捕鯨船員として数年間世界中を航海しています。

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その後日本への帰国を果たしますが、まだ鎖国時代ですからまず上陸した琉球で、次に薩摩、さらに長崎で取り調べを受け、故郷に帰って母と再会できたのは1年半後でした。

時は幕末、彼の知識や英語力は各方面で必要とされます。まずは土佐藩で士分に取り立てられて藩校の教授になり、間もなく幕府から江戸に招聘され旗本の身分を与えられました。

咸臨丸の渡米にあたっても通訳として乗り込みました。

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明治維新後は開成学校(東京大学)の英語教授となります。1870年に軽い脳卒中で倒れてからは、亡くなる1898年まで穏やかな余生を送ったようです。

展示館はパネル展示が主でした。次のバスが来るまではテラスで海を見ながらのんびりと過ごしました。湾の奥に見えるのが土佐清水の市街地です。f:id:cityhunt815:20260613084324j:image

最後に資料館近くに立つ万次郎と仲間達の群像を。

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高知県須崎市:シティハント高知県旅

(304/815)

ちょっと調べた段階では、私は須崎を湾奥にある漁業の町で、絶滅したとされるニホンカワウソが最後に目撃された自然豊かな町くらいに思っていました。その時点では須崎駅と近くにある船溜まり、それに須崎湾の写真くらいでお茶を濁そうと考えていました。

これが須崎駅

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そして、船溜まりです。

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ところが直前にもう少し調べると思いがけないことが分かりました。

先ほどの須崎駅の写真の右端に蒸気機関車の動輪が写っているのですが、それはこの駅が土讃線発祥の地である記念物なのです。

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須崎には県庁がある高知市より先に鉄道ができました。目的は木材を山から須崎港まで運ぶため。それが延長されて土讃線となったのです。

今でも須崎港はニュージーランド木材の輸入・加工拠点になっています。ここに輸入された木材はおもに輸出用の大型梱包資材(木枠やパレット)に使われるようです。

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もう一つの思いがけなかったものは須崎港に面して立つ日本有数のセメント工場です。先ほどの原木が積み上げられていた岸壁の対岸にあります。

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住友大阪セメントの高知工場です。原料となる石灰石は20km以上離れた採掘場から地下のベルトコンベアで運ばれて来るそうです。

須崎市は日本の産業基盤を目立たないところで支えているのですね。

最後に須崎湾を一番奥から。

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カワウが羽を広げて乾かしていました。

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