日本全国まちめぐり

日本のすべての市に行くのが目標です

熊本県宇土市:シティハント有明海一周編

(123/815)

旅の1日目の最後の訪問地は宇土市の御輿来(おこしき)海岸でした。この旅のスケジュールはこの日(3/30)の夕方にここに着くように組み立てました。

御輿来海岸は干潮時に現れる干潟の造形の美しさで知られる海岸です。日本一干満差の大きい有明海ならではの10層をはるかに超える干潟と水の筋が現れます。それにさらに夕暮れが重なる日が年に20日ほどあって、この日はその中の1日でした。

展望台まで最寄りの駅から歩いて15分ほど。着いたころが最干潮のタイミングでした。

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縞々を数えると一番多い所では16層ありました。視線を右に移すと有明海の向こうに雲仙普賢岳のシルエットが見えます。

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これから日没まで小一時間待ちます。日没時には条件が良ければ空と海が紅く染まり、その中に干潟の縞々が浮かび上がる絶景が見られるのです。

三脚を立て本格的なカメラをセットされている方がいらっしゃったので「よく来られるのですか?」と声をかけると、「昨日も来ました。天気は良かったのですが最後がダメでした。」という返事でした。

最後がダメの意味はその時が来て分かりました。

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紅くならないのです。実は前日くらいから黄砂が中国大陸から飛んで来ていて、夕陽は臼ボンヤリとした色にしかならないのです。薄暗くなるまで粘りましたがダメでした。

道が悪いので暗くなる前に急いで山を降りました。集落まで降りた後、駅へは少し遠回りになりますが海岸に出てみました。堤防の上から撮った写真です。

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縞々と雲仙普賢岳のシルエット。

駅に着いた頃には暗くなっていました。次の電車は1時間後でしたが、幸いその前にバスがあったのでバスで宿泊地の熊本に向かいました。

 

熊本県宇城市:シティハント有明海一周編

(122/815)

この旅では世界遺産明治日本の産業革命遺産」の地をいくつか回りましたが、その一つが宇城市にある三角西港です。宇土半島天草諸島の間にある海峡に面した港で、日本最初の近代的港湾として造られ1887年に開港しました。

三池炭鉱の石炭をここで大型船に積み替えて輸出するのが主要な役割でしたが、1899年にすぐ隣の三角東港まで鉄道が敷設されるとその役割は東港に奪われていきました。その結果三角西港は日本でただ一つ、明治の姿がそのまま残る港として今に残りました。

その姿を代表するものが世界遺産に登録されている石積の埠頭です。

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オランダ人技師ムルドルの設計と日本人石工の技術が融合したものです。

埠頭のそばには当時の建物も残されています。これは旧三角海運倉庫。

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次は小泉八雲も立ち寄った旅館浦島屋を再現したもの。

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高田回漕店。

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埠頭から少し入った山裾には当時の官庁施設が残っています。

旧三角簡易裁判所
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宇土郡役所。

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宇土郡役所の建物は現在も船員を養成する海技学院として利用されています。

観光客が溢れていることもなく、土産物屋が並んでいる訳でもなく、町全体がタイムスリップしたような不思議な空間でした。

熊本県上天草市:シティハント有明海一周編

(121/815)

上天草市天草上島の一部と九州本土との間にある多くの島からなる市です。

その島々を結んで天草上島に渡るための五つの橋が架かっており天草五橋と呼ばれています。1966年に開通した時は償還期間39年予定の有料道路でしたが、大人気の観光地となりわずか9年で償還できて無料化されたそうです。

五つの橋の中で橋に一番近い所にバス停がある二号橋バス停で降りることにしました。

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これが二号橋です。長さが250mある大きな橋です。橋の半ばまで歩いて撮ったのがこれです。

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海峡が広すぎてちょっと間延びした風景ですね。少し前に通った橋からの方が景色は良かったかも。バスの中から写真を撮っておけば良かったな。

車はひっきりなしに通っているのですが、自家用車社会で公共交通機関は少なく、一度降りると次のバスは1時間半後です。仕方がないのでバス停近くの食堂で遅い昼食にしました。

他に客はいなかったので窓際の一番良い席に陣取り、橋を眺めながらメニューで気になったあら炊き定食をいただきました。

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ご馳走さまでした。

 

 

熊本県天草市:シティハント有明海一周編

(120/815)

天草市は2006年に二つの市と八つの町が合併して出来た市で、天草諸島の大部分を占めています。天草諸島には多くの島が有りますが、大きなのは天草上島天草下島の二つで、二つの島の間が最も狭くなっている所に本渡と呼ばれる中心市街地があります。

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これは二つの島を結ぶ橋の上から撮った本渡市街地で、離島らしからぬ大きな街です。

上島と下島の間にある本渡瀬戸は狭い所では幅が100mもない狭い海峡ですが、年間15000隻の船が通行する重要な航路になっていて、そこには珍しい橋があります。これがその橋です。

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全長125mのうち58mが持ち上がる構造になっている可動橋で、歩行者二輪車専用橋です。橋は他にも有るのですが船を通すために路面が高く、歩行者や自転車の負担軽減のために造られました。

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上がっているところを見たかったのですが、上がるのは一日の特定の時間だけで残念ながら見られませんでした。

 

長崎県南島原市:シティハント有明海一周編

(119/815)

有明海長崎県熊本県、福岡県、佐賀県に囲まれた内海です。有明海を一周する旅のスタートは湾口の北側、島原半島の南端にある南島原市口之津港です。

口之津は戦国時代に日本でキリスト教の布教が始まった頃、布教活動の中心となった場所です。1579年には日本で布教活動を行う宣教師が全国から集まり、第一回口之津会議が開かれました。しかし布教活動と貿易の中心はしばらくすると長崎に移りました。

その後明治の初期にも石炭の輸出積み替え港として賑わった時期があったようです。港口に当時の税関の建物が残っています。f:id:cityhunt815:20240405142058j:image

この旅では口之津港からフェリーで天草に渡りました。

フェリーが入港して来ました。
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フェリーから見えた口之津の風景です。f:id:cityhunt815:20240405143125j:image

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この海はまたイルカウォッチングのスポットでもあり、フェリーターミナルにはイルカウォッチングの幟が立っていました。f:id:cityhunt815:20240405144019j:image

南島原市は2006年に8つの町村が合併して出来た市です。口之津南島原市の南の端ですが、北の端は雲仙普賢岳の麓になります。1994年撮影の古い写真を1枚。f:id:cityhunt815:20240405143434j:image

普賢岳の火山活動が収まって火砕流の危険が無くなった頃、帰省先から足を伸ばして様子を見に行きました。遠くの山の白い部分が普賢岳直下の火砕流で埋め尽くされた斜面です。ひどい時には写真を撮ったこの辺りまで火砕流が来ていたようです。

千葉県銚子市:シティハント千葉太平洋岸編

(118/815)

千葉県の太平洋岸に並ぶ10市の最後は銚子市です。銚子では犬吠埼灯台に行くと決めていました。

それが直前にマップで最寄りの犬吠駅からのルートを確認していて、犬吠埼灯台と反対側の岡の上に「地球の丸く見える展望館」というのかあることに気づきました。「地球の丸く見える」がハッタリだったら、すぐ戻れば犬吠埼灯台の写真を撮りに行くくらいの時間はあるので行ってみることにしました。

これが銚子電鉄犬吠駅です。右に行けば犬吠埼灯台、左に行けば展望館です。

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マップには自動車用の道しかなく、あと少しという所まで登って来たのにそこから大回りして駐車場です。普通ならこの辺りから歩行者用の近道階段があるはずと探しても見当たりません。ここまでも歩行者用の案内表示は一切なく、歩きの人は客じゃないと言いたげな施設です。こんな施設はきっと・・・。

予想通り館内はガラガラでした。でも展望は予想以上でした。

西の方向は屏風ケ浦。その左に九十九里浜が延びているはずですが、霞んで見えません。f:id:cityhunt815:20240404135049j:image
そこから左回りに、海上風力発電の風車
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犬吠埼灯台

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君ヶ浜
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銚子市街地と鹿島工業地帯f:id:cityhunt815:20240404143753j:image

利根川

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360度のうち300度近くは海。残りの陸地側にもここより高い場所は20km以上遠くまで無いため、ぐるり360度ほぼ水平です。「地球の丸く見える」は本当でした。これだけの景観、もっと売り方があるはず、勿体ないなと思いました。

犬吠埼灯台はどうした?結局行きませんでした。

千葉県旭市:シティハント千葉太平洋岸編

(117/815)

ここもブログネタに困った市です。九十九里浜の北端の写真でも撮りに行こうかとも思ったのですが、そこに行く交通手段は日に数本のコミュニティバスだけ。半日仕事になってしまいます。

そこで目に止まったのが干潟駅。何故こんな所に干潟という地名が?調べると昔は内陸部に椿海と呼ばれる湖が広がっていて、江戸時代にこの椿海の水を抜くための川を掘削して干拓し、八万石と言われる広大な田畑が生まれたそうです。

干潟駅にあったボスターです。

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江戸時代に八万石の領地があれば大名ですから相当なものです。でも駅前からはその田畑は見えません。緩い傾斜を下り家並みを抜けると、昔の椿海の端辺りかなという場所に出ました。

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駅に近いこの辺りには住宅や学校が建って全体は見渡せませんが、干拓前の椿海は東西3里(12km)、南北1里半(6km)、山手線エリアがすっぽり入る面積があったそうです。

もう1ヶ所、椿海と関係がありそうな地名の場所に行きました。それが椿ノ海水神社。ここは匝瑳市の市域に少し入っていますが、椿海のほとりだったのかなという場所にあります。

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でも縁起を書いた看板が見つからず、詳しいことは分かりませんでした。

最後に干潟駅から銚子駅に向かう電車から撮った写真。

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調べても他にそれらしき川が見当たりませんから、これが椿海の干拓のときに掘られた川だと思われます。