日本全国まちめぐり

「日本のすべての市に行く」を目標に旅をしています。何かのついでに1市だけということもあれば、2,3泊して10市以上を回ることもあります。

鹿児島県いちき串木野市:シティハント鹿児島旅

(326/815)

串木野というと私は串木野金山が出てきます。しかし調べると1997年に閉山していました。

他に何かないか調べていて目にとまったのが神村学園でした。高校野球甲子園常連のあの神村学園です。てっきり鹿児島市内か近郊にあるものと思い込んでいましたが、こんな所にあったのですね。JR鹿児島本線には神村学園前という駅まであります。行ってみることにしました。

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駅のホームから神村学園の方向を見たものです。歩道橋の向こうの建物群が神村学園です。

神村学園には幼稚園から専修学校まであります。その建物が国道に沿って並んでいて、フェンスにはいろんな横断幕が掲げてありました。野球だけじゃないんですね。

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グランドが見えないかなと敷地に沿って裏手に回ると、遠目ですが野球の練習をやっているのが見えました。

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ここから先は神村学園の敷地に沿った道はありませんでした。来た道を引き返すことも考えましたが、時間があったので大回りで駅へ向かうことにしました。

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昔からある集落を抜け、近道そうな畑の中の道を通って、やっと神村学園前駅に着きました。

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改めて見ると無人駅ですがちょっとおしゃれな雰囲気の駅です。朝の通学時間帯にはここからいろんな年齢の若者たちが続々と出て来るのでしょうね。

 

鹿児島県薩摩川内市:シティハント鹿児島旅

(325/815)

薩摩川内市について調べていると、ちょっと変わった陵があることが分かりました。可愛山陵(えのさんりょう)です。宮内庁が管理していますが天皇陵ではなく、日本神話のニニギノミコトの陵墓とされている場所です。神話の神様の陵墓が、それも宮内庁が公認したものがあるなんて初めて知りました。

川内高校前のバス停から5分ほど歩くと登り口に着きました。

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宮内庁が管理する陵墓らしい佇まいです。陵墓はここから長い石段を登った山の山頂付近にあります。

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麓からの標高差60mを途中休憩しながら登って、やっと可愛山陵に着きました。

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奥の建物は薩摩国一の宮新田神社です。表に回ると

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ニニギノミコトやその家族、食物の神様や山の神様など多くの神様が祀られているそうです。

帰りは新田神社の参道を下りることにしました。その長い石段の途中にガラッパ(河童)の像がありました。

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川内ガラッパ共和国建国式の会場に見せ物として飾られていたものが、いつの間にかここに鎮座していたとか。神話の山にふさわしい話かも。

新田神社の参道の一番下まで下りて来ました。

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ここからはまたバス停まで歩いて、バスで川内駅に向かいました。疲れた。

鹿児島県阿久根市:シティハント鹿児島旅

(324/815)

「阿久根」、ほとんどの人が聞いたこともない地名でしょうね。「英称(あくね」の地名は古代より存在しました。「アク」は魚や漁業を意味する言葉、「ネ」は岩礁を表し、古くから漁港として栄えてきました。1451年にこの地を支配した島津氏により、阿久根という現在の字に改称されました。ということで、阿久根市では阿久根漁港に行くことにしました。

阿久根漁港は阿久根駅の前にあります。と言うより順番から言うときっと阿久根駅が漁港の前に作られたのでしょうね。

阿久根漁港の全景です。

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結構大きな漁港です。でも着いたのが10時過ぎでしたから、水揚げも競りも終わっていて、漁港の中は閑散としていました。

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その中に1箇所だけ鳥の声が賑やかな場所がありました。

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魚を捌いておられる所があって、おこぼれの取り合いをしているようでした。

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作業をしておられる人にことわって、しばらくその風景を眺めていました。

昔長崎と阿久根を結ぶフェリーがあったような記憶があるので調べてみました。

確かに長崎半島先端の脇岬港と阿久根港を結ぶフェリーが1986年から運行されていました。しかし採算が取れず2000年に廃止されたようです。

漁港と続きの岸壁にあったこの施設、もしかしたらそれに使われていたのかも知れません。

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そばで釣りをしていた方に聞いてみましたが、残念ながらご存知ないようでした。

鹿児島県出水市:シティハント鹿児島旅

(323/815)

旅は県境を越えて熊本県から鹿児島県へ。最初は出水市、鹿児島県の北西端の市です。

ここには以前登場した南九州市知覧のような麓集落があります。薩摩藩は外敵からの攻撃に備え、外城の役割を持つ麓集落を藩内各地に配置し、武士団を住まわせ武芸の鍛錬や農耕に従事させました。その最大のものが出水麓武家屋敷です。

それは新しい市街地から一段高くなった台地の上に広がっています。

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屋敷の多くには今も人が住んでいます。

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ちょっと場違いなキリスト教系の幼稚園もありました。

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以前行った知覧麓武家屋敷よりずっと多くの武家屋敷がある印象です。他の藩(肥後熊本)との境界に近かったからなのでしょうか。

武家屋敷がある台地を下りて、次の阿久根市に行くバスのバス停に向かう途中で面白いものに出会いました。

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日本一のお地蔵さんの幟旗です。階段を上った先にそれはありました。

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高さ4.2m、一枚岩から彫り出されたものとしては日本一の高さだそうです。最後にそこから見た出水市街地を。

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あれ、鳥居?そうです。地蔵があるのはお寺ではなく八坂神社の境内なのでした。

熊本県水俣市:シティハント熊本県南部旅

(322/815)

水俣市では行きたい所がありました。百間排水口、水俣病の原点とも言うべき場所です。

水俣駅の前には旧チッソ水俣工場の正門があります。

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この正門前から左に10分ほど歩くと

百間排水口があります。

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水俣病の原因企業「チッソ」がメチル水銀を含む工業排水を水俣湾に流し続けた場所です。その水銀に汚染された魚を長期・大量に食べたことで、この地域で多くの人が水俣病を発症しました。

排水口の前の湾は、海底の土に含まれる水銀を閉じ込めるために、大部分が埋め立てられて公園になっています。

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公園には百間排水口の説明板や慰霊の地蔵がありましたが、目立たない存在でした。

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昔の水俣湾の全貌が見渡せる場所がないかと、隣接する丘の住宅地に上りました。

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しかし見えたのは埋立地に広がる運動公園だけでした。水俣病の存在が認識されてから70年、水俣病は今の水俣にとっては過去にしてしまいたい歴史なのかも知れません。

水俣病は防げなかったのか。水俣病の全貌が分かっている今の我々からすれば、当事の会社や行政の対応は愚かなやり方だったとしか言えません。しかし当時の知識や社会風潮の中で、自分がその立場にあったとして果たして正しい判断ができたのか自信はありません。さらに今我々は別の何かで70年後の人から見れば愚かと言える判断をしてしまっていないだろうか、そんなことを考えさせられる時間でした。

 

熊本県八代市:シティハント熊本県南部旅

(321/815)

この旅は5月で、7月28日の大地震の2ヶ月ちょっと前でした。その時点では八代でどこに行こうかと悩んでいました。八代は熊本県第2の人口を擁する大都市なのですが、歴史に残るような大事件が起こったことのない穏やかな町だったのです。

球磨川が運んで来た土砂によって出来た広大な平野が広がり、古くは肥後米や畳表に使われるいぐさの一大生産地でした。明治時代に八代港が整備されると製紙、セメントなどの工場が進出し、工業都市として発展しました。

そんなことから苦肉の策として、その平野を生み出した球磨川が平野に流れ出す場所を見に行くことにしました。八代駅から1kmほどの所にある新萩原橋です。

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右の谷間から球磨川が流れ出しています。反対の下流側を見ると平野が広がっています。

下段の写真の右端に見えるのは日本製紙八代工場です。八代駅のそばにあり、ホームから見ると駅裏はすべて日本製紙の工場です。

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球磨川を見に行った帰りに歩道橋から駅の方向を撮った写真がこれです。

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煙突が何本も見えます。そのどれかが2ヶ月後の地震で折れて、下敷きとなって9人の方が亡くなることになりますが、この時はそんなことは夢にも思いませんでした。

行った時点では強い印象のない訪問地でしたが、今となっては忘れることのできない場所です。

 

熊本県人吉市:シティハント熊本南部旅

(320/815)

これからしばらく5月に行った熊本県と鹿児島県の旅から。

人吉市は2020年7月の豪雨災害で大きな被害を受けました。街を歩いた範囲ではもうその被害の痕跡はありませんが、実はまだ復旧していないものがあります。鉄道です。JR肥薩線の熊本県八代と鹿児島県吉松までの区間が壊滅的な被害を受けて止まったままなのです。今外部と人吉を結ぶ主な公共交通機関は高速バスで、私も鹿児島空港から高速バスで人吉インターに入り、そこから路線バスで人吉での目的地人吉城址に向かいました。

最寄りのバス停で降りて最初に目に入るのが復元された多聞櫓です。

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入口がこれだから奥には立派な建物がと期待しましたが、実は復元されているのはこの多聞櫓と写真奥に続く長塀と角櫓以外は、堀合門という城主の居館の裏門(こちらは見逃してしまいました)だけでした。したがつてこれからの写真は石垣ばかりです。

最初に現れたのは水ノ手門です。球磨川の水運に使われた船着き場です。

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その近くから本丸に続く石段が始まり延々と続きます。

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城主の屋敷があった二の丸跡から人吉市街の眺め。

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本丸跡には何もありません。

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天守閣は建てられず、2階建ての護摩堂があったようです。木々が茂り視界も開けていませんでした。

長い石段を下りて、球磨川岸の石垣の上から人吉市街地。

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大きな川です。この川が氾濫したら恐ろしいでしょうね。見えている橋を渡った所から振り返って人吉城址。

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上の方の石垣は木々に覆われて見えません。

帰りはここから人吉インターまで歩きました。