日本全国まちめぐり

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愛知県田原市:シティハント西静岡東三河編

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田原市では江戸時代、ここ田原藩藩士であった渡辺崋山をネタにすることにしました。

私にとって渡辺崋山は画家のイメージが強かったのですが、行くにあたって調べると実は多才な人物でした。画家であり蘭学者であり優秀な行政官でもありました。

画家としては西洋画の技法を取り入れ、写実的な肖像画に優れた業績を残し、国宝の「鷹見泉石像」などの作品を残しました。子供の頃から絵が得意で絵を売って貧しかった家計を助けていたようです。

蘭学者としては高野長英らと「尚歯会」を作り、西洋事情に関しては当時の第一人者の一人でした。しかしこれがもとで「蛮社の獄」に連座し、幕府から国元での蟄居(ちっきょ)を命じられました。

行政官としては38歳で田原藩の家老となり(本人は画業に専念したかったらしい)、田原藩の財政立て直しや天保の大飢饉への対応に手腕を発揮しました。しかし「蛮社の獄」て蟄居中、生活の窮状と藩への迷惑を顧み、自刃して49歳の生涯を終えました。 

原城跡は田原駅から10分ほどの所にあります。堀や石垣、再建された門があります。

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門を入るとすぐに田原市博物館があり、ここに渡辺崋山関連の資料も展示されています。

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鷹見泉石像の複製。原本(国宝)は国立博物館にあります。

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蛮社の獄の時の様子を自分で描いたもの。これは原本で重要文化財に指定されています。

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自刃の時の脇差と遺書。

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これについては言葉がありません。

田原市博物館からの帰りに田原市報民倉の前を通りました。

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城っぽく造られていますが、巨大地震などの災害に備えるための資機材が保管されている市の倉庫です。

「報民倉」という名称の元は、家老だった渡辺崋山の指導により、来たるべき飢饉に備え穀類等を備蓄するために造られた倉庫にあります。これがあったことで天保の大飢饉でも田原藩は一人の餓死者も出さなかったそうです。